Part 11 エピローグ
 

家までの帰り道のことはあまり覚えていない。浜松町で乗り換えた22時頃のJRは座れなかった。ドアの前に立ってボケーッと窓の外を見ているうちに駅に着いた。遅い夕食を駅のそばの牛丼屋で摂った。ビールも頼んだ。疲れているせいか少し酔っぱらった。でも心地よい酔い心地だった。しかし足取りは疲れのせいか思い。家に着き、部屋に入ると今朝あわてて出た時のままだった。今朝帰って来たくないと思って出たこの部屋に帰ってきてしまった。持って帰ってきた荷物、散らかったままの荷物を片づけることなく、バックからコンパクトフラッシュを取り出し、立ち上がったPCにつなぐ。5分ほどのデータ転送の後、PCのモニターには今日の光景が映し出されていた。今日のことなのにずいぶん時間が経っているように思う写真もあれば、ほんの数秒前のように思える写真もある。Rainbow777の最終作を繰り返し見続けていた。もうこれ以上増えることはないと思いながら・・・。
明けて翌日もう一つ大事なことが残っていた。昨日撮った2本のフィルムをラボに持っていくことだった。朝、寝る前に冷蔵庫に入れておいたフィルムを取りだし会社に行くバックに詰める。このカバンを落としませんように、会社まで無事たどり着きますように・・といつもより重く感じるバックを持って家を出た。ラボに行ったのは昼休み。ケースに入ったフィルム2本をポケットに入れ、時たま存在を手で確認しながら徒歩10分のラボに向かう。現像上がりの時間と営業時間を確認して「お願いします」とラボを後にした。
会社が終わって一抹の不安を抱きながら足早にラボに向かう。ミスはしていないはずだが想像もしていないことが起こっていたら、悔やんでも悔やみきれない。受け取ってからビューアーに急ぐ。おそるおそる広げたスリーブは真っ黒や真っ白なコマは1枚もなく、虹の機体がはっきりと写っていた。そして1枚1枚ルーペで覗き、ポジフィルムならではの至福の時を味わった。
こうしてRainbow777の撮影は完結した。5月の008Dの後悔から約4ヶ月。一つも後悔を残すことなく「その日」を過ごすことが出来た。「その日」がいつなのかわかるまでのいらだち、台風の不安、どこへ行くかの葛藤。もしかしたら009Dが最後に与えてくれた試練だったのかもしれない。本気度を試されていたのかもしれない。しかしこれを克服したからこそ、009Dもそれに応えてくれて、最後まで見届けさせてくれた。そして今の満足感を与えてくれた。この「虹からのおくりもの」をいつまでも、色鮮やかなまま、ときめきを失わないまま、大切にしまっておきたい。

そしてこの場を借りて旧JASの方々にお礼を申し上げたいと思います。今回匿名でラストフライトの情報を下さった方にのみならず、整備士の方、地上職の方、パイロットの方、CAの方、その他多くの運航に携わっていた方々へ。
レインボーセブンは皆さんの「努力」と「思い」が詰まったJASの、いや旅客機の最高傑作です。多くの飛行機ファンがその姿に魅了され、また乗客の方々も、暖かいサービスや鮮やかな塗装と愛らしい姿に、他社には無い安らぎや胸躍る気持ちを持っておられたと思います。時世か変わり会社の形態は変わってしまいましたが、最高傑作を飛ばしていたという誇りを胸に、今後益々ご活躍されることを祈っております。そしていつの日か皆さんの誇りを結集して、特別塗装機としてRainbow777が復活しますことを心の片隅で楽しみにしています。

最後にこれまで私を支えて下さった。多くの皆さんにお礼申し上げます。このページをご覧になって下さった方々、メールを下さったり、掲示板に書き込みして下さった方々、羽田や遠征先、写真展で出会った方々、そんな多くの方々に支えられて今日までやってこれました。おかげさまで素晴らしい最後の日を過ごすことが出来ました。その恩返しの意味を込めて今回このページを作りました。ダラダラとした意味のない文章が多く恩返しになっていないかもしれませんが・・・。
Rainbow777はいなくなってしまいましたが、このページをやめるつもりはありません。飛行機撮影も続けていきます。Rainbow777が教えてくれた撮影の楽しさをいつまでも大切にしていきたいと思っています。さすがに今は羽田に行く気になれませんが、次に行く日はもう決めています。おそらく10月終わり頃の生まれ変わった009Dのデビューフライトの日。空席案内のページで6機体制から7機体制になる日を割り出して、新生009Dの姿を撮りに行こうと思っています。

長文にお付き合い頂きありがとうございました。
2005年9月  なりぞお

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