Part 1 プロローグ
 

Rainbow777の写真を撮り始めてもう4年が経つ。その間にいったい何枚の写真を撮ったことだろう。羽田や遠征先で撮った写真を見るたび、その場所の風景を鮮明に思い出す。1枚1枚の写真に思い入れや後悔があり、見ている時間はあっという間に過ぎていく。写真を撮り始めた頃はこのひとときがいつまでも続くと思っていた。

2002年9月18日、JALとJASの経営統合が発表された。その時真っ先に思ったこと、「Rainbow777はどうなるの?」。無くなるのか残るのか見当がつかなかったが、初めて「最後の日」を意識した日であった。「Rainbow777の塗装を新JALの標準塗装にすればいいのに。レインボージャンボなんて似合いそうじゃん」などと楽観的なことも考えていたが、新塗装の発表で見事に裏切られ、実機が次々と登場し始めた。
にもかかわらず、Rainbow777の塗装変更は開始されず「JASをJAノLに変えるだけでこのまま残るのでは」と思い始めた。しかし2004年2月、1号機8977が塗装変更され、その後順次新塗装に塗り替えられていった。
そして2005年4月に007Dが塗り替えられ、残り008D 009Dの2機となってしまった5月のある土曜日、その日は撮影に行くつもりでいた。しかし少し疲れが残っていたのと天気が今一つだったので「今日はやめて明日にしよう」とその日の撮影は取り止めた。
明けて翌日曜日008Dの姿は無かった。JAノLの空席案内のページで「白地に赤のクラスJマークの777」の朝の便を数えてみるとどう見ても6便。そして1ヶ月くらいずっとその状態は続いている。
008Dは塗装変更に入ってしまったようだ。撮影に行くのをやめた昨日が008Dのラストフライトの日だった。めちゃくちゃ悔しかった。自分をとことん責めた。しかしすでに後の祭りだった。
その時誓った。これで残るは009Dの1機のみ、009Dの最後の日すなわちRainbow777の最後の日はどんなことがあっても、どんなことをしてもその姿を残そう、悔いの無い形でその日を過ごそう。もう今日のような思いはしたくないから。

このページは、この日から最後の日までを綴ったものです。半分は備忘録としての意味合いもあるので、読み苦しい点もあるかもしれませんが、最後までお読み頂ければ幸いです。

カメラを買って初めての日

 

最後に撮影した008D

 

 

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